すべてに意味がある
■チューリップは一定の低温(寒さ)を過ごさないと花を咲かせません(冷蔵庫で冷やして疑似の冬を作り、
そして春のよぎじうに暖めると咲きます)。
アサガオも、一定の夜(暗闇)を通さないと花を咲かせません。つまり、花にとっては春を迎える前の『冬』、
また朝を迎える前の『夜』、が必要となるのです。
■法華経に「常に悲嘆をいだいて心、遂ひたんついに醒悟す」との一文がありますが、植物もせいご人間も同じ、と言えましょうか。
私たちはともすると、苦しみや悲しみ、また心の痛みや病をも含めて、
そういったものが一切無くなったところに人生の幸せや豊かさがある、と思いがちではないでしょうか?
すべてに意味がある
■しかし、逆にそういった苦しみや悲しみを通さないと見えてこないもの(常に悲嘆をいだいて)、
また気付けないことがあるはずですよね(心、遂に醒悟す)。であるならば、
本当の幸せや豊かさといったものは、そういったものを抱え込んだ中にこそ、あるのではないでしょうか。
そう考えた時初めて、起こり来たることにはすべて意味がある、といった受け取り方(価値判断基準)ができるはずです。
■そして日蓮聖人は仰います「法華経をおっしゃ信じる人は冬の如し。冬は必ず春となる。昔から聞かず、見ず、冬の秋となることを」と。そう、『冬』は必ず春となり、また、明けない『夜』もないのです。