「世間とのズレ?」
平成22年1月号「本照寺だより」から
■「先日は70万円と80万円でまぁまぁ」「ウチは100万円が普通」「須藤上人(私)、その法号(居土・大姉)じゃケタが違うんじゃない?」などの話に私が「それって多過ぎません?」などと言うと、「え、そう?」となります。
何のことって?葬儀のお布施です。「請求しないでくださるんだから問題なし」とも。ですがそれは、世間相場を調べた上での「判断」ですよね。言わばお檀家として「瀬戸際での判断」で、正直「半ばしかたなく」、くださったのではないでしょうか?
■平成21年、厚木市仏教会会長宅に一市民から相談がありました。「葬儀の際、戒名に院号(本照寺では99㌫差し上げています)を欲しいと頼んだら250万円請求された」と。更に「仏教会で金額を決めてほしい」とも。さすがにそれはできませんが……。これでは「寺離れ」、葬儀無しの直葬(ちょくそう)も増えるはずでしょう。本照寺では平均額が30万円(枕経、通夜、葬儀・告別式、信士・信女の7~9字法号、茶毘式、収骨、初七日を含んで)ですが、それでも私は恐縮し、通夜での「※行状文」したため、法話をいたします。
■とは言え、高額高級車(5~600万円以上?)に乗るような「お金持ち」の方が、親の葬儀で20万円~30万円ですと、「自分は本マグロのトロを食べ、仏壇へのお供えはメザシ」といったことになりましょうか……(地域にも依りますが分相応が基本です……有る方は有るなりに、無い方は無いなりに。上限100万円、下限10万円ほどが望ましいのでは?)。
■ある時、若いご夫婦が訪ねて来ました。「明日、水子の供養をお願いできますか?5千円でいいのでしょうか?」。私は「はい、結構ですよ」と。しかしその日の夕方、ご主人から電話が掛かり「やはり1万円でお願いします……」。私は思いました、「わが子のためを思う気持ち。あぁ、これこそがお布施なんだ……」と。(5千円で供養できる、との噂を聞いて来てるはずなので)。
■お布施とはたしかに、欲を捨てる修行でもあり、また「菩提寺のために」から更に「わが子のために」「父のために」「母のために」「主人のために」「妻のために」といった気持ちで差し出すもの。「安ければいい」との価値観とは全く違います……。ですが、かと言って冒頭の話は……ねぇ。「まぁまぁ」「普通」「ケタが違う」は、やはりズレていると思うとともに、一考を促したいですね。(幸せが「当たり前」となって幸せが見えなくなるのと同じように、100万円戴くことが「当たり前」となると世間の抱く100万円の重さ、大切さは分かりません。また、居士・大姉で300万円請求するお寺、結構あります。是非一度、日当8,000円いただける工事現場をお勧めしたいですね)。
※行状文とは故人の両親名から、生まれ、結婚、子供、仕事、趣味等、故人の一生を文章にして読み上げる。