悲しむことの大切さ
■通夜・葬儀・告別式・荼毘・お骨あげ…実はこの悲しみの流れの中に、その心を 慰め、癒す力があります。 特にお骨あげにいたると遺族は、「諦める」といった心 境に変わるように見受けられます。 ■「諦め」は一見、その場から「逃げる」といった雰囲気を持つ言葉ですが、本来は 仏教用語で「明らかにする」から来た言葉であり、事実を「明らかに観じて受け止 める」ことで覚りそのものです。…「私の父は、母は、死んだのだ」といった事実を 明らかにして受け止めるのです。 ■一方、9・11・ 世界貿易センタービルへのテロ行為で亡くなった遺族の多くは、 数年経っても故人の写真を貼り「連絡を」と訴えました。 そう、死の事実を明らか にできず、よって受け止められず、諦められず … なぜって、そう、遺骨が無いの です…。 ■近親を亡くした方々への調査によると、悲しみの表現は癒しを早め、悲しみの我 慢は癒しを遅くする、との報告があります。悲しみを超えるためには、そう、悲しむ こと…事実を受け止めることと涙が、必要なのです。 ■「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらいて、苦楽共に思いあわせて南無妙法蓮華 経と唱えいさせ給え…」とは、まさに日蓮大聖人さまの覚りです。 | ||
本照寺住職 須藤 教裕 | ||