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親への手紙 |
■「親に良き物を与えんと思いてせめてすることなくば、
一日に二三度笑みて向かえぞかし」 日蓮大聖人
■お彼岸やお盆、お墓に詣る人々の多くは、笑みて向かえる親はもういない方が
多いのではないでしょうか。また親は健在であっても、老いた親の背中を私たち
は何気ない一瞬に、ふと発見します。
『歳をとったなぁ』、などといった言葉の先に、はたして私たちは何を想うのでしょ
うか…。
■さて、本照寺では7月25~26日、第7回目となる「1泊お山しゅぎょう」を終えま
した。宗教情操、また班行動の中々で、小中学生34人の参加者は様々な体験
をしたことでしょう。
そんな中、「親への手紙」、と題した最後のカリキュラムが、2日目の午後、閉校
式の前に行われます。 封筒に住所、親の名前、そして自分の名前を書き、切手
を貼ってポストに投函します。 何年前だったでしょうか、当時中学1年生?の女
の子が一生懸命に「手紙」を書いていました。鉛筆で便せんに小さな字でビッシ
リと綴られるその手紙は、3枚に及ぶものでした。
■『誰に出すのかな?』 書かれた宛名は、お母さんでした。
そして「今まで言えなかったごめんなさい」(いくつかの選択肢から彼女が選んだ
もの)を、書いていたのです。
■3枚に及ぶ「お母さん、ごめんなさい」…
『彼女ははたしてこの縁が無かったとしたら、この「ごめんなさい」の言葉を伝える
ことができただろうか?中2、中3、高校生、もしかしたら母親が亡くなるまで…』
などと思ったものでした。 |
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新聞の投稿から |
■そんなことを思いつつ、ある新聞の投稿に、出会いました。
「病床の母に言い続けた言葉」 公務員 小松憲司 45 |
■「お母さんは脳死の状態です。2度と意識が戻ることはありません」
昨年5月、母が脳幹出血で倒れた。病弱で入退院を繰り返した亡き父の世話と、
苦しい家計の中で私を大学まで出してくれた母。
集中治療室に駆けつけた私と弟は、担当の医師からそう告げられた。
人工呼吸器の力を借りて何とか鼓動を保っている母を見た瞬間から、私の口をつ
いて出る言葉は「お母ちゃん、ありがとう」。 面と向かって言えなかった感謝の言
葉を繰り返す自分がいた。
今でも昨日のことのように思い出す。脳死の母を看護した24日間に、毎日何10回
と言い続けた「ありがとう」。 温もりのある母の顔にほおずりしながら、ただ泣き明
かした。
脳死になって24日目の朝、出勤のため病床を離れる前に最後のほおずりをしたと
き、母の目じりに涙がにじんでいた。(高知市) |
平成16年5月8日付・産経新聞より |
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新たに始められる本当の会話 |
■小松さんは言います…「私の口をついて出る言葉はお母ちゃん、ありがとう」、
そして今まで「面と向かって言えなかった感謝の言葉を繰り返す自分がいた」と。
「面と向かって言えなかった」… そう、小松さんは母の死に臨んで、初めて感謝
の言葉を伝えることができたのです。
もちろん、冒頭にある大聖人さまのお言葉のように、「笑みて」向かい合ったこと
でしょうし、また「良き物」をプレゼントしたこともあったでしょう。 しかし「言葉」とし
て、伝えていなかったのではないでしょうか。
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死を通して |
■私たちは今、当たり前のように生きています。しかしそんな中からは、実は見えて
こないものがたくさんあるように思えます。
小松さんは母の死と向き合って、本当の自分に気付かされ、そして「本当の会話」
をされたのです。
親子であれ、また夫婦であれ、本当の会話といったものは、ある部分、死を境にし
て新たに、始められてゆくのものではないでしょうか。 「あんなこともあった…
あの時は…そう…自分は…」などと…。
■親子であれば、親の死を通して初めて見えてくるもの、親の死を通して初めて気
付くことができるもの、そういったものを機縁としての会話が、始まってゆくのです。
そしてその中味は恩を知る心、恩に報いてゆこうとする心、なのかもしれません。
そしてそういった「本当の会話」の中々にこそ、人の間に生きる人間としての成長
が約束されるのではないでしょうか。
■前の女の子、中学1年生は、お母さんとの「本当の会話」を通して、母、子、共々に
「何か」を感じ取ってくれたことと、考えています。 |