自分でつくるお弁当から見えてくるもの
いのちをいただく、ということ 「弁当の日」の奇跡 | ||
■「子供がつくる『弁当の日』を実施します」 すべてはその言葉からはじまった。四国の小さな町の小学校で校長をしていた 竹下和男は、PTA総会で、そう宣言した。2001年のことである。 総会に出席していた母親たちからブーイングが起こった。 「子供が包丁や火を使って、事故でも起きたら一大事だ」 「共働きの母親の負担が増える」「弁当づくりのために早起きするなんて無理。 勉強にも差し障る」 親も教師も、校長が面倒なことを言いだしたぞ、という顔だ。歓迎されない空気 が漂っていた。 ■「弁当の日」に取り組むのは5、6年生。家庭科の授業で基礎的な知識や技術 を学んだあと、月に1回、合計5回実施する。スタートしてからも、大半の教師 や親は、子供だけでできるはずがない、どうせ問題続出で中止になる、と思って いた。 しかし、そんな予想を見事にくつがえし、子供たちは思い思いの弁当をつくっ てきた。 朝早く起き、手間をかけて調理してみて、「こんなたいへんなことを、毎日や っているお母さんはすごい!」と感謝した子。失敗したヒジキご飯を、「おいし い」と言って食べてくれた両親の気持ちがうれしかった子。今どんな野菜が旬な のか、興味をもつ子も増えた。 ■お米やニンジンや鶏肉が調理されて口に入るまでに、育てた人をはじめ、たく さんの働き手が存在していることに気づいた。スーパーに並んだ魚が生きて泳い でいたときの姿を想像し、命を食べているのだということが実感としてわかって きた。 そうして、食べることの楽しさ、うれしさ、ありがたさを知るにつれ、毎日の 給食の残り物も少なくなっていった。 | ||
お父さんへのお弁当 | ||
■5年生の女の子は、自分の分だけでなく、お父さんとおばあちゃん に感謝弁当をつくった。 お父さんは大阪に単身赴任中で、週末だけ家に帰ってくる。月曜の 朝、大阪に戻る新幹線のなかで食べてほしくて、朝5時に起きた。 お父さんは、うれしかった。娘が早朝から一人で弁当をつくってい る姿を見て泣き、その弁当を受け取って泣き、食べて泣いた。会社に 着くと同僚たちに自慢し、昼休みには自宅に電話をかけた。「おいし かったよと、あの子に必ず伝えて」と妻に言いながら、また泣いたと いう。 | ||
おばあちゃんへのお弁当 | ||
■おばあちゃんは入院中だった。お母さんが病院へ届けた。おばあち ゃんはベッドの上に正座をして、孫の手づくり弁当を受け取った。 「私は結婚以来、たくさんのお弁当をつくってきた。だけど、つくっ てもらったのはこれが初めて」 ありがとう、ありがとう。おばあちゃんも泣きながら食べた。 「空気は読まない」鎌田實・集英社から | ||
その先に見えてくるもの | ||
▼経験を通さないと気づくことができないこと、見えてこないものっ て、私たち、いっぱいありますね。 …悲しみを通さないと気づくことができないこと…苦しみを通さな いと見えてこないもの…また、病を通さないと気づけないこと… 「先ず臨終のことを習いなさい」と、日蓮大聖人はおっしゃいました。 死を通さないと気づけないことがある、と。 そう、死を知らずして命の尊さ、重みは実感できないということを、 日蓮大聖人は教えてくださいました。 | ||
いただきます! | ||
▼お弁当をつくった子供たちは、お弁当を通していろいろなことに気 づきました。そう、「いのち」をいただくということ、そしてその「 尊さ」… ひろさちや(宗教評論家)はある本で、命について子供たちとのや り取りを示します。 「みんなの命は誰の命?」「僕の命!私の命!」「そうだね、では魚 さんの命は誰の命?」「そうだね、では魚さんの命、勝手に食べてい いの?」「…」 ▼私たちは今、当たり前のように多くの命をいただいています。しか しそんな中からは、実は見えてこないものがたくさんあるように思え ます。 子供たちは、お弁当作りを通していろいろなことに気づかされまし た。お弁当作りを通して見えてきた命、そして命の尊さ。 ▼「…人を悲しませてはいただいた命が悲しむね…人が喜んでくれる ようなことができれば、きっと、いただいた命も喜んでくれるね。… 『本照寺一泊お山しゅぎょう』で必ず話します」 …私たちは、「いのち」の食べ方を知る必要があるのではないでしょ うか…すてきな言葉、「いただきます」、そして「ごちそうさま」 | ||
本照寺住職 須藤 教裕 |